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2018.05.31 (Thu)

本棚『アンドロイドは人間になれるか』ほか

半年くらい前に読んでた本。
そろそろアップしようかな、と思うのが
3ヵ月くらいのスパンになっとる。

『つくし世代 「新しい若者」の価値観を読む』:藤本耕平(15.03)
わからない言葉が多かったけど、背景を説明されるとなるほどと思う。
自分が昔から持っていた感性と同じものもあり
新しく生まれた感覚が新鮮だったり。
若い世代と同じ場所で一緒に仕事をしているので、
上から分かったような言い方になることがなく、
今の状況を分かるように解説してくれている感じ。
常時繋がっていること、
プライベートを(編集しながらも)垂れ流すことが
普通であるような環境で生きていくことの大変さ。
そうした世代に向けて商品を売り流行を作ることの難しさ。
こういう本があることで、見えにくい世界のとっかかりが見えてありがたい。
というか自分の世代の持っていた見栄のくだらなさにげんなり。

『服を買うなら、捨てなさい』:地曳いく子(15.03)
似合わないものに手を出してまで種類を増やすよりは
少数先鋭で、同じものでもハズレないもの。
着る回数がコスパの目安というのは納得。
時間がたてば似合うものも変わるのでアップデートは常に必要。
まずは減らすことですね。はいはい。

『がらくたからたから 古道具屋-新たなネウチを生む仕事』:マンタム(12.12)
25年この仕事で生きてきた人の話は、
知らないことばかりで面白い。
なんだか分からないものを売っていて商売になるのか不思議だけれど
ちゃんとノウハウがありルールがあり、
勉強して地道に知識と経験を重ねていかねばならないし
人とのコミュニケーションが何よりも大事というのが分かる。
曲者相手だからなおさら、信用と人柄と礼儀が必要。
古道具屋の日常と、実際に始めたい人への指南など
このヒトにしか書けない充実の1冊。

『アンドロイドは人間になれるか』:石黒浩(15.12)
以前、NHKのSWITCHインタビューや「最後の授業」という番組で
とても面白く興味深かった石黒さん。
「最後の授業」に内容が通じていて、語りを文章にまとめた形で読みやすい。
本人の持つ雰囲気、ユーモアのセンスが、この本の中からもうかがえる。
人の気持ち、感情という曖昧なものを突き詰めていくと、
プログラミング可能な範囲がどんどん広がっていく。
結局「自分」は「他人の目」によってしか規定されない。
「自分」だと思っているものも、
もともとは他者をまねて覚えたものなのだ。
仕草や間(ま)などを覚えさせることで、
見る側もロボットであることを越えて、親しみを感じることができる。
対人の生々しさの無さが、より気持ちを近くし、引き出しやすくなる。
何度でも同じ動きを、倦まず繰り返すロボットだからこそできる
丁寧で継続的な教育や指導や仕事の可能性。
逆に人間のピークのときのパフォーマンス(芸術や技能など)を残し、
その人が亡くなってからも後世に伝えていくことの可能性。
また、ロボットだからと、信頼しているからこそ起こってくるであろう弊害に
どう対応していくべきかを、早くから準備しておく必要があること。
ロボットを作る人、仕組みに立ち入って使える人と、
ただ使う人の間での格差は、より一層大きくなっていく。
それは今の、PCからスマホに移り、
誰にでも簡単に使えるようになった情報端末における格差よりも
なお大きくなるだろう。
番組「最後の授業」では、
人間がいなくなった後の、
ロボット(アンドロイド)だけになった世界についても触れていたが
それこそが、いずれ来るかもしれない外部の生命体に対し、
当時の世界の姿を残し、伝える手段になるというくだりにはゾクゾクした。
人間を考えアンドロイドを考えまた人間を考える。
石黒さんの仕事の可能性と挑戦の今後が気になる。

『ホリエモンとオタキングが、カネに執着するおまえの生き方を変えてやる!』
:堀江貴文・岡田斗司夫FREEex(14.05)
2010,11,13年の対談を元にした本。
評価経済社会の可能性について語る。
貨幣の価値の転換、楽しそうなことへの出資、
仮想通貨やクラウドファンディングなど、
どんどんと身近に入ってきている考え方の
基本的なところが分かる感じ。
お金で解決するのは時間がかからないが、格差が固定される傾向が強い。
評価・アイディア・キャラクターに賛同し、共感するという、
一緒に参加していく形の方法は、その人を知る時間が必要。
(それもSNSが普及している中では、格段に短くなったのだろうけど)
どんなジャンルのものでも、こうしたやり方は可能なのかもしれないけど、
毎回そんなにテンション高いのも疲れるような気がする。
こういう考え方があっていいし、
こういう考え方をするんだ、という気付きもある本。

『超老人の壁』:養老孟司・南伸坊(17.03)
対談の続編。
今回もまた、短いながら濃く詰まった面白い1冊。
石黒さんのアンドロイドに関する本を読んだタイミングで、
0と1との間にある永遠の話がでてきて唸る。
生きているものを研究し、突き詰めていくと
結局数値化できないものが見えてくる。
数字は整数のみではなく、その間にある無数の
小数点以下云々の数字によって埋められている。
理屈で固まった頭を、養老さんの言葉はあっけらかんとひっくり返してくれる。
このまっとうさ、気持ちよさが、
今の閉塞した状況に穴をあける方法なのだと思う。
各章のカットは南さんが描いた、仙厓の模写だけど、
いま仙厓のようにまんま描けるのは南さんしかいないんじゃないか。
脱力感のある余分のない絵がスバラシイ。
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2018.03.06 (Tue)

本棚:『本屋がなくなったら、困るじゃないか 11時間ぐびぐび会議』ほか

ブログ更新もサボり気味なので、
書きためている読書録を引っ張り出します。
夏ごろ読んでいた本かな。

『少年の名はジルベール』:竹宮恵惠子(16.02)
自伝的エッセイ。
以前読んだ『竹と樹のマンガ文化論』の中に紹介されてたエピソードが
さらにきちんと語られる。
24年組、大泉サロンの当時の空気が分かって面白い。
増山さんの存在の大きさ。
身近に文化や芸術に精通した同年代がいて、
シビアに判断したりエネルギッシュに後押ししてくれるのはありがたいこと。
ヨーロッパ旅行のエピソードが面白い。
海外旅行が今よりずっと高額で手間のかかる時代。
写真を撮るのは1日フィルム1本という制約がスゴイ。
あとはスケッチと記憶。
この期間にぎゅっと濃縮して吸収したものがどれほどだっただろう。
お手軽に何でも手に入る今よりも、
はるかに多くの、血の通う豊かなものを、
身体の中に取り込めたんじゃないか。
細部にこだわることで、そこから世界を想像していく。
リアリティや実感につなげていく。
絵に描く、話を作るってそういうこと。

『本屋がなくなったら、困るじゃないか 11時間ぐびぐび会議』:ブックオカ編(16.07)
福岡で本の仕事に携わる人たちが企画した
書店・出版社・取次で働く人たちの車座会議。
取次の仕事って意識していなかった!
同じ業界の中の、異業種の人たちが改めて本について語る。
本をめぐる現在の状況は、
今のままでは立ち行かないことが見えているシステムを
そのまま使い続けているようだが、
入り組んだ構造をほどいて新しく構築するのは
たやすいことではないようだ。
それでも自分の周りの小さな範囲から動き始めている人もいる。
物流ってとても大きな要素なんだと思った。
モノである以上、運ぶという行為、保管するという物理的な場所が必要。
人件費の問題、整理することで逆に仕事を失う人もいる。
無駄をなくすことと、要望に素早く対応することを
両立することの難しさ。
利益も出さなければ続けて行くことはできず、
そこの見直しも重要。
ドイツの配送が素早いのは国土がフラットなせいもあるようだ。
危機意識をシビアに共有したことで
システムを作り直すことに成功したのも凄い。
・いずれ本をめくって読むという行為自体が忘れられていくのかも。
・本は電子か紙かという以前に、本かそれ以外かという選択の中にある。
・本屋はライブの場所。
本屋という場所を街に残すために
さまざまに取り組んでいる人たちがいる。

『僕たちのインターネット史』:ばるぼら・さやわか(17.07)
80年のインターネット前史から、
2010年代のインフラとなったインターネットまでを
二人の視点で語る。
コンピューターも通信も高価で、
コードを知っていることが前提にあるような頃に
インターネットが持っていた意味と、
ビジネスに利用され、誰でもが意識することなく生活の中で使う今では
まったく違っている。
生まれたときからネットが当たり前にある時代では
ネットは別の世界として独立したものではなく、
ネットそのものについて考えることもなく、
結局、数が多ければ勝ち、みたいな場所に
行きついてしまうというしょうもなさ。
倫理はどんどん見えなくなって、扇動が目的になっていく。
おもしろいから数が集まるのではなく、
数を集める(そしてお金が集まる)ために作られるという倒錯。
だったら嘘でもいいのかよ、
というところまでネットの質は落ちている。
一般の人でもネットから何かができる、という状態だったのが、
結局ネットの上でも、
突出した個人とそれ以外という構図が出来上がっていく。
ネタとして扱っていたものを、本気で信じる人が出る。
グーグルが検索できたワールドワイドな世界も、
TwitterやLINEという、検索で見えない閉じた世界が拡張していく。
ウエブの主体も文字ではなく映像や音楽へと移っている。
今後インターネットを倫理と設計の問題として
語れる世代は少数派となっていく。
確かに、ただの道具になった敷居の低い今のネットについて、
考えることはなくなっていくよね。
でも依然としてネットは、コンピューターやプログラムの知識で
何かを起こせるもので、
どんどん複雑になり生半可なアタマでは追い付かず、
影響力も広範囲で大きい存在でもあるはず。
考えもなく信用して気軽に使っているには
危険なものであることに変わりはないし、
とりあえず意識くらいはしておかないといけないよ。

『読書で離婚を考えた。』:円城塔・田辺青蛙(17.06)
WEB連載をまとめたもの。
本の好みがまったく違う作家の夫婦が、
お互いにおすすめ本を提示し、読んでレビューを書くという企画。
一応のルールはあるが、あってないような感じも。
試みは面白いけど、
結局、好きな本って変えられないものなんだなあ。
この連載の中で並行して進むネタがあるでもなく、
妻の書く内容がだいたいいつものパターンとなってるので、
企画を越えて何か別の話が発展していく感じがない。
「本1冊」になる量を目安でやめる、という以外の、
企画が終了する理由が思い当たらない。
逆に、もっと続けましょう、という積極的な理由も思いつかない。
『活字狂想曲』『本を読む時に何が起きているのか』は
読んでみたくなった。

『洗えば使える泥名言』:西原理恵子(16.08)
最近の書下ろし。予約が入っているようなので一気読み。
サイバラさんでなければ説得力を持たない、
泥だけでなく汗やら血やらがこびりついている言葉の数々。
当たり障りのない美辞麗句が何も言っていないのと対極にある、
経験に裏打ちされた真実に届く言葉は、
いつか自分を助けるかもしれない。
語録カレンダーみたいにして、
居酒屋のご不浄に置いてあったら怖いかも。

『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』:春日武彦(17.07)
春日武彦さんの本はわりと気に入って読む。
読みながらこれは私小説的だなと思った。
文章が読みやすくて、奇をてらったような書き方をしないのが好ましい。
自分の中にある鬱屈した気分、母との関係、リノベーションで家を作る心理的な作用、
患者とのエピソードや、他の作家の小説の引用、などなど
今の時間から、頭の中で、過去に想像に妄想に、あちこち巡る。
小説や評論であれば、もっと筋道や伏線など、
計算された形で進むのだろうけど
それがなくても心地よく読める本だった。
穂村弘さんと同じニオイがするが、
春日さんの方が自分に深く沈んでいくような感じ。
前著も気になるので探して読んでみよう。

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2017.12.08 (Fri)

本棚:『俺たちのBL論』ほか

下書き状態の読書記録がたまっています。
この辺は春夏くらいに読んでいた本。
どれも自分の覚書的な文章で、意味がわからないかもしれないけど、
もういいや~でこのままアップします。

『ひらめき教室 「弱者」のための仕事論』:松井優征・佐藤オオキ(16.03)
EテレSWITCHインタビューから始まった対談。
異なるジャンルで同じような発想で仕事を進めているのが面白い。
自分の強みで攻める姿勢よりも、
相手からの依頼を受けてから始まる方法になるほどと。
人は完璧なデザインよりも、不便さがあっても愛嬌のある方に惹かれる。
日常から少し外したデザインを面白いと思ってくれるには
共有知の存在が大きく、今はそれが減ってきていると。
モノがあふれ、ネットでニッチな好みにも手軽にアクセスできるので、
誰もが知っているものが少なくなっていくのは音楽と一緒だな。
技術も進化して思っているものを形にしやすくなっているが
その分、発想が技術に縛られることもある。
松井さんの「無に蝕まれて破滅する」は名言。
無を怖がってやみくもに手を付けるより、
無を持つことで、熟成や土壌づくりになっている。
やり方が分かってきても、
次の人を育てるためには相手に任せ、自分でやってしまわないこと。
安全牌で到達する地点より上に行くには
リスクをとってもまったく違う発想からリセットしてみること。
「弱者」というより受け身でいることの強さを感じる対談。

『僕たちの居場所論』:内田樹・平川克美・名越康文(16.05)
3人の対談として読むので軽くていい。
会話の中で流れついていくいろいろな話題が面白い。
以下印象に残ったことなど。
・グローバルという視点の元に、均一の基準で比べられる大学。
個性や理念は問題にされず、
数値化できるもので誰にでもわかるようにならされる。
結果、ランクの低い大学を淘汰し、補助金を分配する対象を減らしていく。
教えることがこんなに見下されているってなんだろうか。
・先生と言うのは誰にでもできるもの、という内田さんの言葉が印象的。
能力のある人にしかできないものだったら、
該当者がいないときに、子供は生きていくすべを学ぶことができず
その集団は一代で滅んでしまう。
・自分の中の演算機能が低いと、複雑な状況を理解することが出来ず
単純な考え(陰謀史観とか)にすがってしまう。深く納得!
・言葉に新たな語義を付け加える権利があるのは母語話者のみ。
・守るものがある人の方が弱い。
どこにも帰属せず面倒を見なくていい立場の人間は
その場限りのネットワークの中で匿名の一刺しで強さを持つ時代。

『火星年代記』:レイ・ブラッドベリ
リニューアルした西図書館で、きれいな状態のものを借りました。
これを読んだのは高校生の時だったか。
文庫の装丁に惹かれて買ったような気もする。
その後、紛失してしまい、読みたいなあと思いつつ●十年。
話はほとんど覚えていなかったけど、
古さと懐かしさと面白さと微妙さを感じながら読みました。
当時、他にもパラパラ程度に手を出したが、
結局SFというジャンルにはハマらなかったな。

『孤島の鬼 江戸川乱歩全集第4巻』:江戸川乱歩
長編・「猟奇の果」を同時収録。
「孤島の鬼」は3度目くらいの再読で、三分の一くらいでトリックにげんなりして中座。
これは橋本治による書評(『問題発言 THE AGITATION』に収録)が一番おもしろい。
「猟奇の果」は初めて読んだ。最後は意地になって読み終えた。
前半のおどろおどろしいような風呂敷の広げっぷりは面白かったが
後半のムリヤリな展開はどうなのかと。
やはり探偵・ミステリ物って苦手だ。
つじつま合わせの種明かしでイライラ。

『まだある。 今でもわくわく”懐かしの昭和”カタログ 遊園地編』:初見健一(09.06)
都内近郊の懐かしい遊園地の乗り物カタログ。
子供のころはとしまえんとか西武遊園地とかよく行った。
絶叫マシンが苦手なので、子供を過ぎてからは遠ざかってるが。
2009年当時とはいえ、現役のものばかりなのがスゴイ。
知らない怪しいものもあるし、
当時から入ったことがないけど気になってたものも紹介されてて楽しい本。
写真を見ているだけで嬉しい。
数年前、あらかわ遊園に行ってみたけど、
寂れた雰囲気のまま現役で動いていて
人も少なく穴場なスポットで面白かった。

『野良猫を尊敬した日』:穂村弘(17.01)
北海道新聞などのエッセイをまとめたもの。
安定の品質。
同じようでありながらバリエーションのある話を、
毎回おもしろいなと読ませるのだからすごい。
子供のころから今の今までこのままで、
それに丁寧で客観的に自分をみつめる文章力があってこそ。
タイトルは、選ぶとしたらこれになってしまうのかなあ。

『俺たちのBL論』:サンキュータツオ・春日太一(16.01)
シンプルなのに過不足ないタイトル。
サンキュータツオさんは以前読んで
(『東京ポッド許可局~文系芸人が行間を、裏を、未来を読む~』)
面白かったので覚えてる。
BL初心者の春日さんに面白さをレクチャーしていくのだけど、
終盤の「男はBLの絡みをどう楽しめばいい?」までいくと
女性では書けない男性ならではの視点が出てきて唸りまくり。
草食男子の内実ってこういうことなのか?と。
萌えは個人的に細分化された世界で、
BLややおいを語っていくと最終的には自分のセクシュアリティにも触れざるをえず、
「これは精神的なもの!」というイイワケを越えて
さらに踏み込んだ先の実感や言葉に圧倒される。
女性の世界を、男性がちゃんと興味を持って好意的にとらえ、
男性の視点で客観的に言葉に置き換えていく文章って本当に面白い。(子育てとか)
BLは知的遊戯。
余白、ちょっとした違い、行間から、
あらゆる可能性を脳内で生み出すクリエイティブな作業。
その視点を導入することで
面白さが倍増する未開の地がまだ山とある。時代劇とか。
「男は丈夫だから安心」というのはけっこう大きなポイント。
この言葉で傷つく人もいるんじゃ、と思いつつ
この前提あればこそ、無茶な状況に放り込んでもエンタメとして楽しめる。
以前三浦しをんの『シュミじゃないんだ』を読んだ時にも
BLの世界の面白さや広さを感じたし、
今回の本でも、BLやおいを読み解き、
偏見や誤解をとっぱらって見えてくる、他ジャンルとの共通性や共感や可能性を知った。
じゃあBL読みますかと言われると、
恋バナを面白がれない、恋愛小説読まない人間なので、たぶん読まない。
絵柄が好みかどうかというのも、漫画である以上、大きな要素だし。
私はこういう評論で十分だったりする。

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2017.08.01 (Tue)

本棚:『60年代ポップ少年』ほか

読んでいたのは4月ごろですが、
何も書かずにいたので、すでにいろいろおぼろげです。
そして書いてそのままにして、またえらい時間が経過しています。

アタマや気持ちがぐるぐる回転するような、刺激的な本が続きました。

『ぐっとくる題名 増補版』:ブルボン小林(14.10)
ブルボン名義の本は初めて読むかも。
ネタが主体の本かと思ったら、ちゃんと実用的な話でした。
読んでみるとなるほどーと思うことがいっぱい。
この「なるほど」と思わせるために、
どんな視点を挙げていくか、例として出す本や映画や楽曲はどれにするか、
そこの選択が難しいんだろうなあ。
硬軟とりまぜた広い知識・見識がないと説得できない。

『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』:パトリック・マシアス著、町山智弘訳(13.07)
面白かったです。
英語名のなんちゃって作者名かと思ったら、本気のアメリカ人でした。
アメリカオタクの黎明期から現在までが、あらゆる項目について書かれてる。
一つ一つの章は短いながら、みっちりと濃い未知の世界。
手ごろな厚さの文庫本、しかもオタクなネタと思って甘く見ていたら
あまりに濃すぎて読み進むのに時間がかかる!
日本のオタク黎明期でさえ、
情報を探し仲間を探し深くかかわっていくのは大変だったのに、
まったく言葉の違う異国で、中途半端なまがい物などに紛れながら、
日本にあるホンモノへ向かっていく情熱の凄さといったら。
まあその延長線上に、
私がドイツサッカーを追っていたことなんかも同じものだとを思えば
そんなに他人事でもないし、
好きになってしまったらやってやれないことはないのだと思う。
それにしても、オリジナルの改編(合体やら追加やら)・クオリティの低いグッズ・
放送時間のいい加減さなどなどに阻まれながらも
惹かれていく、のめり込んでいく、その力はものすごい。
そしてネットで簡単に情報が手に入るようになった今、オタクであることとは
まったく次元が違うのは、日本もアメリカもかわらない。
広いジャンルを網羅して、なお語りすぎず、
単なる情報に終わらず一通りの状況をリアルに知っている人によって書かれていて、
コンパクトにアメリカのオタク状況を知るには格好の本。

『ぼくらの身体修行論』:内田樹・平尾剛(15.03)
付箋を貼りまくって何度も読みたくなるような本。
こういうの、スポーツで子供をどにかしようと思っている親御さんに、
今!読んでほしいと思う。

合気道の内田さんと、ラグビー日本代表だった平尾さんとの体をめぐる話。
2007年の対談と2014年の対談。
19年間のラグビー生活の中で得た経験を言葉に落としていくことは、
その人にしかできないし、誰のものでもない貴重なもの。
第一線でスポーツをやっていた人が、教育に向きあって、
自分の経験を言語化していく勉強をしていくことって
客観的で誰にでもわかるような形で教えてくれるというのは
とても意義のあることだと思う。
感覚でしか分かっていない、感覚としてもまだちゃんと感じていない、
個人の経験で済まされてしまうようなものの中に
誰にでも共通している、数値化できないけれどとても大切なものがたくさんある。
今のスポーツ教育の中では置き去りにされているものの中に、
その人が豊かに生活していく、
生き延びていくために必要な知恵が山のようにある。

ミラーニューロン、
見るより先に感じる先取りの感覚、
複数の身体的コミュニケーション、
勝負はあくまでも方便であって目的ではない、
「練習」は後追い・危険予測をした時点で後手、
数字でスポーツを見ることは体に対する冒とく、
経験は絶対時間ではなくむしろ年数、
練習強度をあげても結果は出ず、
むしろ身体を休ませ脳でイメージを反芻していることで染みていく。
「気持ちの良い状態に持って行くこと」が武道ではとても大切なのに、
今のスポーツ教育は苦痛に対する我慢の報酬としての結果(数字)を重視しすぎている。
今のスポーツ教育は、戦中の強兵を手っ取り早く作るための策の延長。
筋トレでつけた筋肉は、ジムのマシンを動かすためにだけ特化した筋肉で
実践には使えない。
ブルース・リーの肉体はケンカで作られたもの。
エヴィデンスがなくても、トップアスリートの経験が言語化され、
再現性があれば科学になる。
体罰と根性論で過ごした選手が指導者になった時、
自分を否定するような教育が選べない。
スポーツで結果(数字)を出して入学してきた生徒が
継続してスポーツをやることが減っている。
期間を区切らない結果を求めない、
自分の中の成長を喜ぶタイプのスポーツに生徒が集まっている。
etc。

身体に対する信頼や愛情、興味などに裏打ちされた二人のやりとりは
とても健全で気持ちがいいもの。
子供をとりまく今のスポーツの状況の歪んだ姿、怠慢な構図に悲しくなる。

ここから長い愚痴になるけれど、
職場の同僚の話を聞いてうんざりしているので、
ホントこーゆーの読めよ!と思う。
イヤミにしかならないので勧めないけど。
強いこと、勝つこと、
強いチームに入ること、そのために引越しすること、
その中でまたAチームだのBチームだの選抜されること
もうそういう、価値観が一つしかない場所で
「子供がやりたいから」という理由を言い訳にして(人に押し付けて)、
目先のことしか考えない、隣のコより良ければOK、
自分以下の子は(そうは言わなくても)見下してる、
そんな世界にいることがとてもキモチワルイ。
身体を動かすってそれだけで快楽で、
昨日できなかったことが今日できる、思ったように体が使えるようになる、
頭で考えたこと、工夫したことがちゃんとつながる、
それだけで無上の喜びで、
でもそれってその当人にしかわからないし、うまく説明できるものでもない。
それは体育会系だろうが文科系だろうが違いはない。
でもそういう「違う自分になる喜び」を知らない人は、
分かりやすい数字に頼って判断することしかできないんだよね。
その判断は相対的な評価だから、
上に行く人がいれば下に行く人も当然生まれてしまう。
そこに思い上がりや卑屈さが生まれないわけはないよね。
そういう親、指導者、チームメイト、チームメイトの親に囲まれて、
数で言えばたくさんの人と交流しているようでも、
中身が同じ人の群れにいるのでは
自ら気付き、成長するきっかけをつかむのって難しいような気がする。
「いい大学」「いい会社」「そこでの出世」という古い価値観を
単にスポーツという場所に移してるだけで、
スポーツやってるから爽やかで健康で人間的にも優れてて、って
イメージとの乖離がはなはだしすぎて気持ちが悪い。

『部屋にて』:石田千(07.06)
気持ちを穏やかにしたいときには石田さんの本を読む。
絶妙なひらがなの使い方、句読点の置き方、言葉の選び方、
どれも独特で、今の時代に書いているとは思えない雰囲気をもっている。
この話は日常雑記と思ったけど、艶めいた印象を感じる文章も入っていて
小説風な、切り取ったような話を並べて行ったようなものなのかな?とも感じた。
これまで読んでいた本でも、静かな文章の中で、
けっこう外を出歩き、ふらふらと飲んで歩き、いろいろな人と会っていたりするのが、
少し意外に感じつつ楽しんで読んでたけれど、
この本はもう少し自分に入り込んだような、
外よりも内を向いて、より小さな場所で動いているような感じがしたなー。
随筆であっても小説風のものであっても、
石田さん本人の輪郭がはっきりとしないところはさすがの文章。

『60年代ポップ少年』:亀和田武16.10)
亀和田さんという人を私はよく知らないけれど、
パラパラ見て文章が良いなと読んでみた。
ビートルズとも五輪とも無関係だった少年が夢中になっていたもの。
プレスリーとビートルズの狭間で生まれた甘い和製ポップス、
ジャズ喫茶、SFファンとの会合、サブカルチャー、学生運動、その中での恋。
一般的な60年代モノではこぼれ落ちてしまうような、
でも確かに存在したリアルな記録。
後半、学生運動の話がメインになるが、
セクト名やヘルメットの色は山ほど出ても、
観念で凝り固まっているようでもなく、
他に面白いことがないから暴れる、
デモに行きバリケードで寝泊まりし郵便局を駆け抜ける。
反対する理由と、目の前の対立する相手が直接つながっていない気がするが
ただ暴れたくて集まっていた若者も相当数いたのだろう。
ノスタルジーに陥らず、記憶の捏造もせず、
ちゃんとかつてあった事実を描く。
色あせずにそのまま描かれる60年代のリアル。面白かった!
表紙に描かれた江口寿史のイラストが、
激しい活動に飛び込んでいく少女の姿そのまんまで美しいです。

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2017.06.22 (Thu)

本棚:『竹と樹のマンガ文化論』ほか

F橋市の西図書館がリニューアルしたので、
近くに用事があるとき寄るようにしている。
建物だけでなく蔵書もかなり新しくなったので、
読みたい本がたくさん見つかって嬉しい嬉しい。

『はじめての短歌 いい短歌の正体とは。』:穂村弘(14.04)
穂村さん本職の短歌の解説本。
改悪例を並べて示すことで、短歌の視線の持ちようがわかる。
誰にでもすぐにわかるように伝える「生き延びる」ための文章との違い。
さすが日常生活の中の暗黙のルールで右往左往する穂村さんだなーと納得。
限られた文字数の中で選んだ言葉が広げるイメージ、世界、記憶。
ここでは触れてないけれど、
逆に、てらいすぎ、やりすぎ、ひねりすぎ、なパターンもあると思う。
そのへんの線引きもまた微妙で難しそう。

『竹と樹のマンガ文化論』:内田樹・竹宮恵子(14.12)
竹宮さんが大学の学長になって学校で漫画を教えているとは知りませんでした。
しゃべりすぎる内田さんとの対談は刺激がたっぷり。
内田さんによる「ボーイズラブ漫画は少女漫画家のアンチアメリカ(仮)説」は
頭でっかちというか、きれいにつじつま合わせてる分だけ鼻息荒過ぎというか。
でも竹宮さんの話で、実際はわりと単純な理由だったのが読んでておかしかった。
以前読んだ内田さんの著作の中に
「いかに労力(勉強)をかけず資格を取るかが、教育におけるコスパの良いこと」な
ミもフタもないことが書いてあったけど、
同じように大学にお金を出して漫画を教わりに学生は
あまり能動的に動いていくということがないみたいだ。
それでもこの学校の、
複数の教授たちから多角的に指導を受けられるシステムはとても面白い。
マンガはもともとオープンソースなもの、という指摘に目からウロコ。
オリジナリティやら、誰が始めたとか、そんなつまらなことで世界を固めてしまうより
イイものはイイで、みんなが取り入れて盛り上げていくという形はとても健全。
漫画は基本的にはすべて一人で作るものなので、
なにからなにまでやらなければいけない、というのも
改めて言われると凄いことなんだよね。
そして漫画は読む人がいなければ意味のないただの紙で、
そのために読者をひきつけるあらゆることを考えて作っていく。
発行部数が文学書などとは比較にならない世界にいた人の言葉は
すごく説得力がある。
竹宮さんが教えることを引き受けたのは、
積み上げてきて前提となっているはずの漫画の基礎が、
受け継がれず形が崩れたまま続いていくことへの危機感や
同じく漫画を作る編集者もまた、サラリーマンとなって経済的な結果ばかりを追い
長い目で育てていくという視点が薄くなってきているということからだそうだ。
最後の章で、内田さんが言っていた「ストックフレーズの乱れ打ち」はコワイ話だった。
気の利いた文章を書く子がさらさらと書き上げた文章ほど、致命的に定型的。
マニアな雑誌の投稿欄、オタクのTwitterみたいに、
誰が書いても同じニオイなんだろうなあ。

『続々 自閉っ子、こういう風にできてます!自立のための環境づくり』
:岩永竜一郎・ニキリンコ・藤家寛子
ニキさんの本を読んでいると、
人の身体も感覚も程度問題なのだと思う。
多数決で決まっている世の中でどう上手く対応していくか、
それは障害のあるなしにかかわらず誰しも関係のあること。
誰もが自分の身体のことしかわからない。
感じ方見え方が他の人と同じである確証はない。
不便であることすら、自分の体験で比較をしなければ見えてこない。
感覚を分かりやすい比喩で言葉にすることのできるニキさんによって
専門家も気付いていなかった様々なヒントが見えてくる。
固有受容覚がちゃんと働かないと、自分という意識を持ちにくくなる、なんて
言われてみればそうか!と納得。
身体と頭とココロは繋がっていて、
その人の繋がり具合でそれぞれの個性が出来上がっている。
相手の反応が表面から見えにくい分、
自分の理屈・感覚を他者に押し付けてしまうことも多い。
自閉症スペクトラムの人だけでなく、
多かれ少なかれ日常の不具合は誰しも持っているもの。
想像力と気付きって難しいけど必要なこと。

『ダイオウイカは知らないでしょう』:西加奈子・せきしろ(15.02)
ananで連載されていた、短歌に挑戦する企画、なのだと。
手に取ってぱらっと見たときの期待感が高すぎて、
それほど爆笑な感じでもなかったのは
まあ自分のせいですけど。
今まで読んだ穂村さんの著作の中で選ばれる短歌って、
素人目にもやはり研ぎ澄まされてるんだなあと思う。
二人(とゲスト)の作る短歌を見ていて、
文字をまず合わせることって、意外に大事なんだと思ったなー。
同じ人の歌を続けて読んでいると、
ちゃんとその人にしか書けないものがあるのが見えて面白かった。

『片づけの解剖図巻 心地よい住まいをつくりだす仕組み』:鈴木信弘(13.12)
家を作るときのヒントが詰まった本。
夢みたいなイメージだけで終わらず、
実際に住んでみた場合のシミュレーションを踏まえた提案。
私は家を作る予定はまったくないけど、
土間・下屋のある家は使いやすそうだなー。
とりあえずテーブルの上に置きっぱなしになってるものを、
自分の座る場所の隣に移動する、というのはやってみました(笑)
シンプルで味わいのあるイラストとコメントがツボ。

『たましいのふたりごと』:川上未映子・穂村弘(15.12)
川上未映子さんの本は読んだことがないけれど、
コダワリ方とか潔癖な雰囲気とか思い込み方とか読んでいると
こういう人だから小説を書いたりできるんだろうなと思う。
本のために1日で語り下ろしたような感じなので
一つ一つにもう少し分量があってもいいような気がしながら読んだ。
「牛丼を食べるたびにおいしすぎて不安になる」という穂村さんの感性は
やはり鋭すぎてレベルが違う。

『黄昏』:南伸坊・糸井重里(16.04)
文庫で読んだ。初出は2009年とか。
あまり二人が一緒にいる印象がなかったけれど
年が一つ違いだったり仕事をいろいろやってきたりしているんだな。
二人の面白いと思うところ、しつこくいじるところに微妙な違いがある。
伸坊さんがあちこちで「本人」になってるところがオカシイ。
天狗の活躍っぷりと奥様のプロ意識に笑う。
おじさん同士のバカな話って好きだ。

『まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す』:田口幹人(15.11)
盛岡にある、さわや書店フェザン店の店長による本。
中堅規模の本屋にできること、あるべき姿。
経営との両立を図りながら、
地域と繋がり本屋を超えて場を作っていく醍醐味。
本屋の棚から発されるメッセージ、個性がある。
本の付録のロボットを代わりに組み立ててあげるエピソードは
しみじみと感動的だった。
本は決め打ちで読めば済むものでも、似たような本ばかり読めばいいものではなく
思いがけない発見があるから面白いもの。
本屋や図書館に紛れ込んで物色する楽しさこそ、
なににも代えがたいと思う。

『11歳からの正しく怖がるインターネット 大人もネットで失敗しなくなる本』
:小木曽健(17.02)
ネットはあくまでも道具。
ネットが原因で良くないことが引き起こされるのではなく、
昔からある良くないことが、ネットを使って行われただけ。
自分でもスマホのことがよく分からないのに
子供に与えて不安になるってなんだろうか。
ネットという特別な枠の中で話をするのでなく
日常の中に置き換えて、
相手とどうコミュニケーションを取るか、その時ネットをどう使うか、
という視点から話が進むのでとても分かりやすい。
若い人からのメールの文章がものすごく短い、というのは
(そこが本題ではないけど)けっこう驚いた。

『鳥肌が』:穂村弘(16.07)
またまた穂村弘です。もったいないけど読んでしまった。
この本、いつものエッセイよりも、少し踏み込んだ感じがする。
おなじみの日常の中の暗黙のルールに右往左往する話のレベルが
常識と思うラインを少し逸脱しそうな、きわの部分に焦点を合わせてる。
読みながらゾクッとするような、
普通と見えていつの間にか違う世界に踏み込んでいる恐怖。
「そっくりさん」の話はかなり怖かったー。
挿絵の、気持ちがさわさわするようなタッチ。
つるつるして冷たさのある紙質も、内容を補完するようで。
1本と見せかけて、細い糸がたばねられていた栞も
読んでる途中に気付いてドキッとした。
「私の人生を四文字で表すならびくびくだ」の記述に爆笑する。
タイトルとしては、連載時の「鳥肌と涙目」の方が好きかも。

テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

10:00  |  蛸足図書室  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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